NPO法人江戸川手話通訳者協会会報誌『通研江戸公』第27号掲載

坂本龍馬のような

 広辞苑第六版によると、通訳とは「互いに言語が違うために話の通じない人の間に立って、そのことばを訳して相手方に伝えること。また、その人。通弁。通詞。」とあり、翻訳とは「ある言語で表現された
文章の内容を他の言語になおすこと」とあります。通訳と翻訳は、どちらも訳すということでは同じですが、通訳には「人の間に立って」という特徴があることが分かります。

 長い間、全国手話通訳問題研究会の運営委員長として活躍されてきた伊東雋祐氏は「手話通訳活動と外国語通訳のもっとも本質的な違いとは、そこには運動論的な展開が、手話通訳活動には脈々と流れていることではないかと思うのです」と述べています。(伊東雋祐著『手話通訳』241頁)

 この本が書かれた頃は、まだ手話通訳と外国語通訳は違うものだと理解されていたようです。現在でも両者は異なるものだと理解している方は案外多いと思います。ところが、ポェヒハッカーという、舌を噛みそうな名前の人が書いた『通訳学入門』という本があるのですが、英語同時通訳者の鳥飼玖美子さんが監訳して、昨年発行されたこの本には、手話についての言及が頻繁に出てくるのです。読んでいて、いま、音声言語通訳のことについて述べているのか、手話通訳のことについてなのか分からなくなってしまうくらいです。そのうち、読み進めていて気づいたことは、著者は音声言語の通訳と手話の通訳とを分けて論じていないということでした。

 つまり、手話は言語なので、手話通訳も音声言語の通訳と同じ土俵に立っているということです。海外の事例なので、土俵ではなくて同じリングの上に立っていると言うべきか。それはいいとして、さらに驚いたことは、この本を通して知ったことですが、海外の手話通訳者の通訳理念が音声言語通訳者の通訳理念にも影響を及ぼしてきたという指摘です。それについては後述します。

 さて、手話通訳の運動論的展開とは、どのようなことなのでしょうか。伊東氏は、「単に医師と患者の伝達保障の役割を果たすにとどまらない。医療なら医療に関する情報やその伝達、保育現場に手話が必要なら手話を持ち込み、ろうあ者問題を正しく広めていく役割がある、聴覚障害者が平等に生きる権利を拡大していく役割、つまり手話通訳活動の運動的役割がそこにはあるわけです」(同掲書242頁)と述べています。

 それでは、通訳者は、どこまで双方のコミュニケーションに介入したらいいでしょうか。


続きは本誌にてお楽しみください。