NPO法人江戸川手話通訳者協会会報誌『通研江戸公』第20号掲載

異文化との接触による新たな文化

あんぱん、抹茶オレ、いちご大福。さて、これらの共通点は? りーくんの好物? それもあながちハズレではないが、これらの共通点は和洋折衷ということだ。和のあんこと洋のパン、和の抹茶と洋の牛乳という和と洋の組み合わせで新たな美味しさを生み出したヒット商品たちだ。ぼくは、今、ジョナサンで、たらこスパゲッティを食べながら、この原稿を書いているのだが、これもまた和洋折衷だ。

日本文化というのは、昔から変わらないように思いがちだが、実はそうではなく、異なるもの同士がぶつかって生まれているものが意外にも多い。坂本龍馬など明治維新で活躍した人物の残された写真を見ると、着物にブーツという井手達だったりする。ちなみにTV局の大道具スタッフは、Gパンに足袋雪駄という和洋折衷ファッションが定番スタイルなのだ。

日本の文化や様式が西洋に影響を与えたという例もある。最近では、ジャパニメーションといって、日本のアニメが海外で高く評価されているが、19世紀に海を渡った日本の浮世絵に強く影響を受けたのは、ヨーロッパの美術界を活躍した印象派と呼ばれる画家達だ。彼らは、それまでの自分達が知っている伝統的な遠近法を駆使した写実的な西洋の絵画技法とは全く違った平面的で様式的な日本の浮世絵に衝撃を受けたという。印象派を代表するゴッホの絵の中には、肖像画の背景に漢字や着物を着た人なども描かれているし、マチスという画家は、それまでの西洋絵画には、見られなかった輪郭線を重視した絵画を制作したが、それは日本絵画の線描に影響があったことを伺わせる。

このように異なるもの同士が接触をし、新しいものが生まれていくことは文化の自然な営みだと思うのだが、こういった現象は言語の世界ではどうなのだろうか?

実は、手話も日本語との接触によって、生まれたものが幾つかある。例えば、日本手話の口形は、パやポのような手話口形の他に「オーバー」「ありません」のようなマウジングと呼ばれる日本語口形がある。このマウジングは、日本語との接触によって日本手話の中に取り入れられた現象だと考えられている。一方で、日本語との接触によって生まれた手話単語(例えば「せっかく」(左手で表した指文字セを右手人差し指で掻く)や、「いえいえ」(家家と表す)は、どう受け止めたらいいだろうか。

ここで鍵となるのは、和洋折衷が成功していると思っているのは、あながち取り込んだ側のほうだけなのかもしれないということだ。例えば、ぼくの大好物である納豆スパゲッティは、おそらくイタリア人の大半は受け入れてくれないだろう(それは日本人にも抵抗ある!?)。

そう考えると「せっかく」や、「いえいえ」のような日本語の音に引っ掛けて造語された手話は、聴者や難聴者は好んで使うだろうが、ろう者の大半からはあまり歓迎されないというのも頷ける。

日本語との接触によって造られた手話は他にも、「にぶい」「ラッキー」などがあるが、これらを伝統的な手話から外れていると敬遠するか、あるいは、手話の豊かさとして受け容れるか。早急な評価は難しいことだ。いずれにせよ、良いものならば、それは残っていくのだろう。


続きは本書にてお楽しみください。