NPO法人江戸川手話通訳者協会会報誌『通研江戸公』第17号掲載

4月に江戸川区登録手話通訳者新人・現任研修会が開催されるのですが、その研修会で5年前から、
毎回、手話通訳者としての心構えのようなことをお話させていただいています。今回のこのコーナーでは、
今年の研修会でお話した内容を紹介いたします。



新人・現任研修 講義

 おはようございます。今回で、ぼくの講義も5回目になりました。みなさんにお伝えしたいことは、なにも特別に目新しいことはなくて、毎回同じなんですけど、同じ話じゃ飽きられちゃいますから、毎回ちがった切り口でお話をしたいと思っています。ということで、講義の時間なんですけど、手話翻訳の課題を出したいと思いますので、ちょっと考えてみてください。ここでの翻訳する対象者は日本手話母語話者の中でも、年齢的には中〜高年齢の方で、抽象的な概念を伝えることがやや難しい人。説明会や講演の場面を想定しているということも付け加えておきます。

日本人の平均寿命は年々延びて世界でも有数の長寿国になり、私たちも老後の問題として考えざるを得ない」※板書する

 自分だったら、まず、「平均」って手話は、どうしよう?とか、「寿命」って手話はどうだっけ?と考えちゃうと思います。この単語はどういう手話だったっけ?という発想。その発想でいけば、こんな感じになるかと思います。

日本人 平均 寿命 毎年 延びる/世界 最高 長寿 国/私たち 老後 問題 考える 必要

 試験なんかだったら、これで合格できちゃうかもしれませんね。江戸川の試験は厳しいですから、もっと意味をつかんで翻訳しないと落とされちゃうかもしれない。でも、ふつう、試験だったら、流れてくる音声テープが早かったりしますからね。あんまり、翻訳している余裕がない。でも、実際の通訳現場では、この表現で伝わる人もいれば、伝わらない人もいるでしょう。先ほどの想定した対象者だと、どうでしょうか? ちょっと伝わるのが難しいですよね。いいんですよ、できなくても。いや、いいということはないですが(笑)。でも、できなくても、これじゃ通じないだろうなぁと分かることがまず大切です。
 ぼくの話に度々登場してくる、ろう者のご婦人がいますが、彼女と一緒に手話の勉強会をひと月に一回開いています。キリスト教の教会の中で行なっている手話学習会で、もう13年くらい続いているんですけど、実は、この例文は、先月、そのご婦人から教えてもらった例文なんです。それで、そのときに、ちゃんと翻訳例も教えてもらってきたので、それをみなさんに紹介したいと思います。

翻訳例) ※板書する
昔 日本人 生きる 40〜50 でしょ/今 80〜90 まで 生きる/年 長い 生きる/世界 最高/でも 問題 なに?/年金 減る、介護 必要、生活 苦しい 問題 起きる 起きる 考える 必要

この翻訳例から、3つのポイントが学べるかと思います。1つめは対比。2つめは要約。3つめは具体例の提示です。

●対比:昔 40〜50 今 80〜90
●要約:年 長い 生きる 世界 最高
●具体例の提示:年金 減る、介護 必要


 ポイントは「対比」「要約」「具体例」です。最初に申し上げた通り、自分だったら、「平均」っていう手話はどうしよう?とか、「寿命」の手話単語は?と考えてしまう。でも、この翻訳例では、「平均寿命」とか、それが「延びた」ということを単語を使って説明していないんですね。日本人の昔の平均寿命と今の平均寿命を対比させることによって、結果として「平均寿命が延びている」というメッセージをきちんと伝えています。どうですか? この表現なら、「あのばっちゃんや、このじっちゃんに通じるわ」と納得してもらえるかと思います。

 「世界でも有数の長寿国になり」のくだりは、違う翻訳が良いという人がいるかもしれません。厳密に言えば、「有数」という言葉は「数えられるくらい少ない」という意味ですから、「世界でも有数の長寿国になり」というのは、世界の国々の中に長寿国と言われる国は数えられるくらいしかない。その中に日本は入るようになったということですよね。だから、こう翻訳する人もいるかもしれません。

世界 〜中 生きる 長い 国 少ない/その中に 日本 含む/昔 ちがう/いま 日本人 生きる 長い 

 このほうが、原文に忠実な翻訳かもしれません。でも、どうでしょう? やや、説明的な印象を受けますよね。言いたいことは分かってもらえるかもしれませんが、ストンとは落ちてくれないような気がします。

年 生きる 長い/世界 最高

 必ずしもシンプルにするのが良いというわけではありませんが、メッセージを明確に伝えるために大胆にまとめてしまう。要約することによって、伝えたいことが浮き彫りにされる。あんまり、言い切るのはよくないかもしれませんが、この翻訳課題で想定した対象者の場合なんかだったら、このように翻訳するのが良いと思います。
 特に、新登録の方に知っていただきたいことは、今まで試験対策で学習してきたことというのは洗練された日本語文章の音声に追いつくことを前提とした手話通訳表現だったと思います。でも、試験のときと、実際の通訳現場ではちょっと違うんだということです。
 手話通訳というのは対象者に合わせて手話の表現を変えてかなきゃいけない。それは日本手話か日本語対応手話にするかの二者択一かという単純なものではなくて、現場では、対象者の年齢や理解力に合わせて手話を組み立てていかないといけません。
 
 さて、3つめのポイントの「具体例の提示」ですが、伝えたメッセージが相手の胸にストンと落ちるためには、相手が受け止められるような投げ方をしないといけません。だから、ここでは「老後の問題」ということを、具体的に「年金 減る」「介護 必要」…と表わしている。結果として、老後の問題という概念は伝わっているわけです。
 今から、ぼくが「野菜の絵を描いてください」と言っても、「野菜って何の?」と困りますよね。キュウリとか、ニンジンとか具体的なものを示してくれないと描けないですよね。手話でも同じで、「老後の問題」と言われてもピンとこない。具体的な例示があって、はじめてストンとくるわけです。
 ただ、ここは注意が必要なところですよね。具体的な例示ができるためには通訳者は幅広い知識が必要です。それが求められるからこそ、都の講習会の試験や、手話通訳士の試験では、一般常識の試験があったりするんだと思います。けれども、対象者によっては、具体的な例示を必要とせず、「老後 問題」だけできちんと伝わる人もいます。ですから、冒頭で「中〜高年齢で抽象的概念が伝えにくい人」を対象と設定したのでした。
 この場面は、説明会や講演としましたので、通訳者による具体的な例示がポイントのひとつとなると挙げましたが、これが医療の場面だったら、具体的な例示というのは通訳者からではなく、医者からしてもらって、通訳者はそれを手話通訳するということをしなくてはいけませんよね。ですから、手話通訳とは、対象者に応じて手話表現を組み立てていくことと同時に、場面に応じて最適な方法を考えながらやるものだと言えます。
 
 さて、この例文から学べることが3つありました。対比と要約。そして、具体例の提示です。まとめますと、手話通訳とは、画一的に日本語対応手話でいくとか、日本手話でいくということではなくて、対象者が日本手話母語話者であっても、その対象者の使用している語彙や、理解度は人それぞれですから、それを見極めて、その対象者と場面に合った手話を組み立てていかなくちゃならないということです。それが文法的に完璧な表現だったり、話者が語る内容に忠実な訳であったとしても、メッセージが伝わらなかったら通訳の意味がないわけです。



続きは本書にてお楽しみください。

・勝負パンツ
・翻訳と通訳
・コミュニケーション能力
・通訳者集団に戻ってきたワケ
・通訳はチームプレー
・同質のサービスを提供できる通訳者として