NPO法人江戸川手話通訳者協会会報誌『通研江戸公』第11号掲載

パッチギ

先日井筒和幸監督作品の映画『パッチギ』を観た。
 1968年の京都。ある日、主人公の高校生、松山康介は、担任の先生から敵対する朝鮮高校に親善サッカーの試合を申し込みに行くように言われる。恐る恐る朝高を訪れた康介は、音楽室でフルートを吹く女の子キョンジャに一目で心を奪われてしまう。その後、康介は、キョンジャが吹いていたのは『イムジン河』という曲だったことを知り、国籍の違いに戸惑いながらもキョンジャと仲良くしたい一心で『イムジン河』をギターで弾こうと決心する。この映画は、そんなラブストーリーを中心にしながら、イムジン河が同じ民族であるはずの韓国と北朝鮮を分断していること、その「河」は何も両者との間だけではなく、在日と日本人の間、さらには北朝鮮と日本の間にも流れているということを考えさせてくれる構成となっている。そして、ぼくは手話を学ぶ一人として、ろう者と聴者の間に流れている「河」ということをだぶらせながら映画を観た。
 『イムジン河』を朝鮮語で唄い、片言でも喋ろうとする康介に、キョンジャと周囲の心もほぐれていくのだが、通夜という非日常の場面で日本人に対する深い恨みの言葉が吐き出されるシーンがある。「生駒トンネル誰が掘ったか知ってるか!」「国会議事堂の大理石、どっから持ってきて、誰が積み上げたか知ってるか!」そう言われた康介は、朝鮮人の強制労働という事実、そこに横たわる差別、そういったものを全く知る機会がないまま今まで来たこと、いや、知ろうとさえしなかったことなど様々な思いが込み上げる。何も言えず、その場を飛び出した康介はギターを壊し、鴨川に投げ捨ててしまう。
 十数年前に、ろう者に「上手い上手い!」とおだてられながら手話を始めてしばらく経ったときのこと。それまで友好的だった彼から「聞こえるお前とどこが同じなんだ」と罵倒されたことがあった。手話を通じて仲良くなって、お互いに何も差なんてないじゃないかと思えたそのときのことだった。
 康介を始め、それぞれの登場人物が傷つき、悲しみを負いつつも、そこから突き抜けようとする姿が描かれ、最後には爽やかな気持ちだけが残って幕を閉じる。この映画を通して、衝突し、傷つき、悲しむという経験は、本当の意味で河を乗り越えるために必要な過程の一つにすぎないということを感じた。
 
 今、日本では韓流ブームとか言われて、韓国への旅行や、ハングルを覚える人が急増しているという。かく言う自分も中学生のとき、在日の友人や、大学生のときは、韓国からの留学生の友人がいたのだが、お互いの間にある「河」にまったく気を留めなかったのだから、とやかく言う資格はない。大事なのは、切っ掛けではなく、「河」の存在に気づいたときに、それにどう向かうかということだろう。
 
 康介は、様々な思いを胸に秘めつつも朝鮮語で『イムジン河』を歌い切った。
 手話学習者も、ろう者の文化に触れていく中で「河」の存在に気が付くときがくる。しかし、そのそきに「河」を渡りたいという思いがなければ手話を学ぶことに意味がなくなってしまうのではないだろうか。ある、ろう者が社内で手話を教えるようになって、しばらく経ったときのこと。朝礼で手話を使って内緒話をする二人の聴者を見かけて大変心を痛めたという。他の人が分からないのをいいことに、そんなことのために手話を教えているのではないと、そのろう者は嘆き、手話を教えることを止めてしまったのだそうだ。
 もちろん、手話は便利だから、音を出してはいけないような場での合図やスポーツでのサインの代わりにツールとして有効に利用することはできる。だからこそ、今一度、立ち止まって、なぜ手話を学んでいるのか、手話を学ぶということは、どういうことなのかということを改めて考えたいと思っている。


以下のタイトルは本書にてお楽しみください。

・手話講習会閉講式
・新春歌舞伎