NPO法人江戸川手話通訳者協会会報誌『通研江戸公』第10号掲載

グループ研究発表

 先日、区民手話講習会の上級クラスでグループ研究発表が行なわれた。発表といっても、受講生らが中級のときの講師をゲストとして招くほか誰かを呼んだりすることはない内輪だけのものだ。2ヶ月ほど前から「手話が通じなかったとき、考えられる理由を10以上挙げ、その対処法を発表する」というテーマが与えられた受講生は、3つのグループ(5〜6人)に分かれて準備に取り掛かっていた。

10月に入ってからは、講習会が終わると行きつけの店とは別の店で集まるグループあり、行きつけの店に集まるも前半は講師と助手とは別の席で準備をするグループもあった。そんなときは講師と助手と二人で寂しく肩を寄せ合っているのだが、打ち合わせがある程度がまとまったところで講師らのテーブルに合流するので、後半はいつも通りの店貸し切りのドンちゃん騒ぎになっていた。

 毎週、夜遅くまで準備をしていた甲斐があってか、発表の内容は十分に講師陣の期待に応えるものだった。紙面の都合でその全部の内容はムリなのだが、簡単に紹介をしたい。

 最初のグループは「ろう者とのコミュニケーションにおいて重要なのは手話に関する知識と技術である」とのテーマを挙げて、それぞれ賛成、反対に分かれてディベートをするという形式での発表だった。賛成側の主張としては、@単語力A手話技術B文法の知識は必要不可欠、それがないために通じなかった事例を紹介。それらを身につけることが大切であるとした。一方、反対側の主張は、重要なのは、それよりも@表現力Aろう文化や、ろうの立場を理解することB熱意と日本語力であり、それらが足りなかったために通じなかった事例を挙げ、その対処法を述べた。最後に審判役が登場し、「熱意があれば手話についての知識や、技術は向上する。両方大事」と双方の主張を認めて引き分けとするなどなかなかうまくまとめていた。

 次のグループは「手話が通じなかった事例」を本人たち曰く、NHK教育のワンポイント手話のように紹介。相手が手話を知らないのに手話で話しかけたとか、表出を間違えていた、うなずきが間違っていたなどを10項目寸劇で紹介し、「通じるため」にはどうしたらいいかという対処法を紹介した。寸劇と解説は音声なしの手話。状況を説明する文章が書かれた紙がところどころで掲げられたりして、見せ方としてもなかなか工夫をしていた。ショートコントのようにテンポよく次々と事例を紹介してくれたのだが、ややテンポが良すぎたために、掲げられた説明文を読みきる前に次の場面がスタートしてしまうなど、ろう者がいる場での見せ方に、もう少し配慮があると良かった。
 
 最後のグループは、各自が通じなかった経験を持ち寄り、その様々な体験を一本のストーリーに仕立て上げた。登場人物は、ろう、中途失聴者が一人ずつ、聴者が二人。ナレーターが一人。
 ある日、4人が旅行の話題でおしゃべりをしていた。一人の聴者が「旅行に行きたいね」と表すも通じない。「旅行」と表したつもりが「会社」と表していたからだとナレーターの説明が入る。社交辞令のつもりで「今度」行こうねと言ったのに対し、「いつ?」と聞くろう者に困惑気味の聴者。待ち合わせの時間は?と尋ねるが、「時間」とだけ聞いたために「時計」のことだと思って「この時計ロレックスなの」と答えられてしまう(時計を自慢したいと思いつつも自分からは言わないでいるときなんかは、つい、こういう勘違いをしてしまうが、それは手話会話に限ったことではないだろう)。結局、「9時10分前」に待ち合わせることになったのだが、約束の時間になっても、ろう者が現れない。それは約束したときの手話表現が原因だったのだという。聞こえない様子なので、ろう者と思って手話で話しかけたが通じない。相手は養護学校に通うろう重複の児童だったのだ。こういうケースでは、どうやってコミュニケーションを取るのがいいのかという問題提起をし、幕を閉じた。

 各グループの個性が出ていて、なかなか見応えがあった。発表時は、音声を付けない手話でやるのだが、日本手話と呼べるにはまだまだで、サイレント・シムコムになってしまっていた。テーマだけを与え、発表内容や、方法などすべて受講生に任せ、事前に講師が手話チェックをしなかったのが原因だ。しかし、日本手話になっているかどうかというよりも、これだけの長い内容を音声に頼らず手話だけで伝えたということ自体に講師として拍手を贈りたい。


以下のタイトルは本書にてお楽しみください。

・手話の評価
・日本語ボランティア講座